たこぶねのひと。
NHK俳句で拝見したのをきっかけに、小津夜景さんが気になって仕方なくなった。
『いつかたこぶねになる日』は、砂糖菓子のような狂気のような、くらくらするその独特の世界観に触れられる一冊。サブタイトルに「漢詩の手帖」とあり、漢詩を中心としたエッセイのようなよみものです。漢詩にはほんとうに馴染みがなく、国語は好きだったわたしも漢詩は全然意味がわからなくて嫌いな部類でした。それなのに、小津さんをとおして日本語の詩になったとたん、こんなに魅力的でかわいらしいものになってしまうのがふしぎ。
そういえば漱石も漢詩をつくっていたけれど、漢詩はわからんと長年無視してきていました。この本のなかで紹介されていた「菜花黄」がよかった。菜の花すきだなぁ、漱石。
印象に残ったのは、「直感的戦術としてのもごもご」。つまるところ俳句の真髄とはなんですかというたぐいの質問に対しての小津さんの態度だ。
「ふうん。このもごもごするしか能のない人が俳句を書いているのか」とがっかりしてもらうことが、こういう場面ではすごく大事なんじゃないかと思っているのである。
それって、、!すごい。。「つまるところ、」「ひとことで言うと」って、人はわかりやすくまとめようとしすぎる。思えばこの本のあとがきにも、
この本にはかくかくしかじかと語れるようなテーマがなく、ただ折々になんとなく思い出した詩がそのままならんでいます。
詩を道具としてながめないよう心がけたところ、かくのごとく不揃いに仕上がった次第です。
詩はタコと同じく自由と孤独が好きですが、詩を読む人びともまたそうだろうと思います。
と、ある。詩は自由でいい。自由でないとならない。でも自由でいようとすることは、いまを生きる凡人にはけっこう難しい。
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