歯車として、つつましく。

ちょっと前にNHKでやっていた『まいにち 養老先生、ときどき まる』スペシャルが、とても良かった。もう、映画として上映しても良かったんじゃないかというくらい。知るのが遅かったので、通常版のも見てみたかった。


ということで、養老先生の著書を続けて読んだ。『神は詳細に宿る』『「自分」の壁』。


両方とも、講演などをまとめて本にしたものらしいので、著作というかおはなしを聞いている感じ。あの口調だなぁという感じ。とくに、子ども~青年期の闇を語ってくれるところが好きだ。自分はここにいていいのかという疎外感。この辺をもっと読んでみたい。


~「私は新参者だ」という気持ちをずっと持ってきました。それは今も残っています。世間、社会は自分よりも先にできあがっていて、世の中の出来事はすでに決まっている。そこにあとから入ってきたものは、どういう振る舞いをすべきなのか。幼い頃、若い頃は特に、そこがずっとわからないでいました。これは私にとって、ずっと考えざるをえないテーマでした。~


~自分は世間というメンバー制クラブのメンバーシップを持っていない。おそらく、世間に馴染んでいる人の多くは、自分がメンバーシップを持っていることに疑いを持っていない。~


ああ、わかる。というところがたくさん。


世界になんとなく馴染めないから、それってなんなんだろう?という関心の対象となった。それが、結果的に解剖学や虫につながっていったのだろうと思います。世間とのずれって誰にでもきっとあって、やりかたはそれぞれで、なんとか興味のわく方法で付き合っていく方法を見つけていくしかないんだろうな。うっかり生まれてしまったからには。ほんとうに、人生って暇つぶしだ。


天然酵母を育てスコーンを焼くのも暇つぶし


いや本当に自分の人生というものがあるのかどうかもあやしいが、仮に人が地球というなかのひとつのパーツとして生まれてきたのだとしたら、パーツらしく慎ましく生きていきたい。自分が汚した水を、みんなの水場に何食わぬ顔で戻すなんてことはせずに。

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