狭い視野でいいから、想像してみる。

 正岡子規の『病牀六尺』を読み直した。


はじめて読んだとき、病状も悪化していた子規の晩年がこんなにもパワフルだったことに驚いた。周りの人が詠む句にもダメ出ししまくりで、まったく「病床記」という感じではない。むしろ元気をもらうくらいなので、本当にみんなに読んでほしい!と思う一冊なのです。


ところで、今回印象に残ったのは、子規の「女子教育」についての視点。


…病人の看護と庭の掃除とどっちが急務であるかといふ事さへ、無教育の家族にはわからんのである。…殆ど物の役に立たぬ女どもである。ここにおいて始めて感じた、教育は女子に必要である。

…女子の教育が病気の介抱に必要であるといふ事になると、それは看護婦の修行でもさせるのかと誤解する人があるかも知れんが、さうではない、やはり普通学の教育をいふのである。女子に常識を持たせようといふのである。…


病気になり家族の介抱を受ける子規は、無教育の女性たちの気の利かなさにイライラしちゃったんですね。つまり、自分がちゃんと介抱されたいと感じるから、女子に常識を身に付けさせた方がいいということを言っています。すごいエゴだし、現代から見たらなんて差別的な…!とびっくりしてしまう発言だけど、わたしはけっこういいなーと思った。


なぜならそこには、個人としてのほんとうの想いがあると思うから。思うように体が動かない、六尺の病床が子規の世界のすべてだけど、そこで経験して全身で感じたことから生まれた考えだから。ただ、「男女平等であるべき」「みんな等しく教育を受けられるべき」といった上っ面の言葉とは全然違う。


私たちも結局は自分の目を通してしか、世界を見ることはできない。すっごく狭い世界に生きている。それでも、そのとっても狭い了見のなかでも、「もっと別の方法があるのでは」と考えることはできる。まず想像してみることで、もっと生きやすい道が見つかるかもしれない。

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