世界がつまらない。

 「つまんない」


が、子どもの頃の口ぐせだった。幼稚園生くらいから言っていた気がする。親戚の家など、連れられて行った場所で、だいたい他の子どもと馴染めずに1人になる。でも、いつもの遊び道具もない。「つまらない」と親に訴えると、「じゃあ、つまるようにしなさい」と言われた。

この感覚、この年になっても変わっていない気がする。基本、自分のまわりにあるものがおもしろくないと思っているところがある。人としてどうかと思うけど。


このつまらなさの正体とはなんなのか。

おそらく、「結果が見えていること」全般のことだと思っている。


テレビとか映画とか、身近なところだと会話も、だいたい「型」がありますよね。

天気の話とか、典型的な。暑くて嫌ですね。寒ければ寒いで嫌ですね、と。とりあえず「困りますね(苦笑)」でまとめなきゃいけない雰囲気とか。

近所に閉店した店を見たら、勝手にその理由を推測するとか、同情するとか(別に店を閉じるイコールネガティブなことではないのだけど)、余計なお世話な会話とか。


ここで話してもなんの意味もない、生産性ゼロの話。え、いま何の時間?って思ってしまう。結果はわかってるのに、みんなどうしてそんなに初めて聞いたみたいに笑ったりできるんだろうって不思議だった。


「人は共感することでわかり合えるのだ!それも大切なコミュニケーションなのだ!」と、日々言い聞かせて生きている。


いやでも待って。みんなだって予定調和じゃないほうが、ちょっと「おっ」って思えるほうが面白いんじゃない?


そう思うから、このつまらない世界を少しでもつまるようにしたいから、わたしは今みたいな仕事をしているんじゃないかと、無理やりつなげてみる。

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